1989年、尼崎市戸ノ内にあった私たちの作業所「雑居工房」が火事で全焼。翌年、小中島の園田橋の下に雑居工房再建。
沢山の方に助けていただきました。
恩返しの意味を込めて「何か社会の役に立つような仕事をしたい」という思いで、当時盛り上がりつつあった牛乳パックの回収事業を始めました。
1990年
「牛乳パックを捨てるのはもったいない…。どうにかできないか?」という思いを持つ人々とつながり、回収量は一気に増え、みんなの労働文化センターの一大事業になりました。
当事、回収の現場をこなしていたのは、身体障がいや知的障がいのある作業所メンバーで、自ら車を運転し回収先を訪れる姿は、全国から注目を集めました。
1993年~1996年
全国で牛乳パックリサイクルの普及キャンペーンが展開され、尼崎市内スーパーでも沢山のお店でキャンペーンが実施されました。
1997年
容器包装リサイクル法が施行され、家庭ごみの6割に当たる包装容器廃棄物のリサイクル制度を作り、ごみを減らし資源を有効に活用するための品目に、牛乳(紙)パックも加えられ、私たちの活動がますます重要な物になりました。
尼崎市内で同じように牛乳パックリサイクルに取り組んでいた、三つの団体がともに活動する「尼崎パックルネット」が誕生しました。
尼崎市内の公共施設には回収ボックスが設置され、回収を行っている市民団体には奨励金が交付されるようになりました。
2003年
あまがさきし牛乳パック回収拠点マップの完成報告をしに、白井市長(当時)を訪問しました。市長も尼崎パックルネットの事は知ってくださっており、ぱっクルも愛用されていました。(ヤラセ無し!)
2007年
環境イベントへの参加が増えてきました。中でも「あらたエコフェスタ」には毎年参加し、回収キャンペーンを行っています。長い列が出来るほどたくさんの方に来て頂きました。
2008年
全店舗分のパックを回収させていただいていた、某スーパーチェーンが自社回収となり、尼崎パックルネットの回収量が4分の1ほどに急激に落ち込みました。
店頭で回収される牛乳パックリサイクルは、”活動的”なものから”業務的”なものへの変化が始まり、市民活動団体としては厳しい時代に入ります。
2009年
この年、小学校で行った環境授業の回数は過去最多の7校でした。パックを集めてくれている子どもたちに、直接リサイクルの事を伝えられるのはとてもやりがいを感じます。
2010年~2013年
尼崎市内の回収拠点とのかかわりを大切にしながら、保育園・幼稚園の新規拠点の開拓に力を入れました。
2014年
尼崎市民まつりなどに回収キャンペーンブースで参加しました。
2016年
「関西ミルクロードの会一円基金」から助成金を得て、おそろいのユニフォームを作りました。「パックを集めているあの子たち」と認識度も上がり、声をかけていただく機会も増えました。
2017年
「尼崎牛乳パック回収拠点マップ」の作成開始。市内のすべてのスーパーを訪問して承諾を頂き、拠点マップに掲載することが出来ました。
完成したマップは市内の全小学校や、公共施設、スーパーさんに掲示してもらっています。
2020年
長年一緒に取り組んできた尼崎消費者協会が解散され、尼崎パックルネットの代表が交代。今後はみんなの労働文化センターが主体となって、尼崎市の牛乳パック・紙パックリサイクルに取り組んできます。